幣塚(ぬさづか) 金鶏伝説


むかしも昔、明石の国の東、垂水の丘には五色に輝く葺石と、紅がら塗りの埴輪を立て並べた五色塚があったが、西の瀬戸川を見下ろす丘にも五色塚よりは小さくはあるが周濠には五色塚に似た埴輪を並べ立てた幣塚があった。
五色塚が明石国の大王の塚としたら、こちらは、その明石国の瀬戸川辺りを治めていた王の塚であろうという。
この塚にはいよいよの時の備えのために金の鶏が埋められていると伝えられてきた。だから、周辺の住民達は何が起ころうとも少なからざる安堵感を抱いてきた。
明治16年6月7月と空梅雨、真夏に入っても日照りは続き、田圃は白くひび割れ、稲も細いままで枯れかかっていた。村人は瀬戸川のささやかな流れの水を天秤桶に入れ、一株ごとに柄杓で一杯ずつまいたりした。清水神社やら西福寺で雨乞い祈祷をしたり、松明を燃やすなども試みたが駄目。清水川、瀬戸川沿いの稲まで枯れた。
しかし、金の鶏を掘り出そうという話しにはならなかった。翌年こそという期待があった。
確かに次の年、雨は降った。日も照った。これまでにない成長ぶりであった。「こんなに成長すると、風が心配やなあ」との懸念どおり二百十日にも二十日にも台風はきた。大きく伸びた稲穂は風にたたかれ、倒れた。僅かに縄を張っていた稲穂だけは持ちこたえていた。それも種もみ分の収穫ができればよい方であった。(つづく)

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