幣塚(ぬさづか)2 金鶏伝説

今度は何人かから金の鶏を掘ろうという動議が出された。村役が認めんでも勝手に掘るぞと、と言いまくるものででた。「村の記録にも、二年つづきの凶作はよくあるが三年つづいたというの見つからん。もう一年我慢してくれんか。ご先祖がこれまで何百年も、千年以上も金の鶏を掘り出さずに大事にしてきた。それを今、掘るというのは・・・・もう一年、我慢しようかい。もし来年も駄目なら掘り出そう。約束しよう」
村人は出稼ぎやら、芋畑を広げたり、山へ木の実を採りにいくなどして耐えた。
三年目、梅雨に入るや大雨だった。どこのため池も満水だ。瀬戸川もあふれんばかり。稲も順調に伸びていた。このまま梅雨があがればと、それだけを期待した。その梅雨明けを知らせるかのような雷雨が来た。まさに豪雨であった。満水の小さなため池の堤が切れた。それが引き金となって大水は村々を襲った。二日目、田畑どころか、牛小屋から納屋まで流されるよう家が出た。村人たちにはもう立ち上がる気力も何もなくなっていた。
村役が叫んだ。「さあ、塚を掘ろう。金の鶏を掘り出そう。なあ、みんな。朝日さし、夕陽輝くこの丘に黄金千杯、朱千杯よ!」
村人たちは最後の力をふりしぼって塚を掘った。朱で塗られた小さくはあるが石室があった。
村役が一つ、二つと勾玉・管玉・小玉などを取り出したが金の鶏どころか、金の玉子ひとつでてこない。村人の一人が「まだあるのやないか」と怒鳴ったが、それから錆びきって取り出すことのできない刀が一振りあるだけだった。

その発掘品は全て、調査のため、東京国立博物館へ送られたというが、今のところ、博物館では「該当遺物なし」ということだ。
出典:特集明石の民話 明石大門 明石ペンクラブ作品集XXより 2000年5月27日発行