浄土真宗本願寺派のお寺で城西山安養寺といいます。このお寺には、「どんでんさん」いう高さ40cmの木の仏様が安置されています。風化していて元の姿をとどめていません。人々はお地蔵さんとよんでいますが、手の形から来迎印を結ぶ阿弥陀如来のようです。どんでんさんには、古い言い伝えがあって、室町時代に、赤松五平という人が林の海岸を歩いていて、波打ち際で古い仏様を拾ったそうです。五平はその姿にうたれ、教順と名をかえて僧になりました。小さな祠に祭っていましたが、戦国時代の大永5年(1525)に安養寺を創立しました。ご住職は、「住職がしばしば変わっているのでよくわかりませんが、本山などの記録では正徳元年(1711)の開基のようにも思えます」と『明石の寺宝』という本の中で、語られています。このお寺が造られたのが1525年(大永5)、大久保町松陰にある東東光寺が1530年(享禄3)、西東光寺が1546年(天文15)の開基と言い伝えられています。人々の印南野台地の開発が、まず鳥羽・松陰に広がる台地へと向けられていった時期なのでしょう。本尊の後ろの板壁に「天保6年(1835)播州姫路高岡村 棟梁伴右衛門」の墨書があることから、本堂は天保のころに建てられたようです。