高砂道をウォーキング!

大久保駅に停車していた懐かしい団体専用列車これからどこに思い出を作りに行こうとしてるのでしょうか?列車の中から生徒さんが手を振ってくれました、「いってらっしゃ~い」と手を振り返しお別れです。そんな大久保駅を後にし開発の進む明石駅前の工事を見ながら初めて乗る山陽電車、そして高架になった西新町駅の改札口で集合、いよいよ講師3名の案内で高砂道史跡めぐりの始まりです。
●まずは密蔵院です。
延喜4年(904)観賢僧正(かんげんそうじょう)により創建されています。

昭和27年、戦没者の慰霊のため、地上15mという(日本一)報徳大地蔵尊が建立されました、油をかけて開運や健康をお祈りする珍しい「油かけ地蔵」なども地元の人々の信仰を集めています。また、明石の民謡「明石樽屋町茶碗屋の娘」に登場する悲劇のヒロイン「お糸さん」のお墓があることでも有名です。
●若宮神社
宝蔵院の東側にこじんまりとした境内に古い社殿がある若宮神社で、舟上村の山王権現を勧請、若宮明神と呼び氏神にし、もめ事を収めた神社として伝わっています。
●宝蔵寺
応永3年(1396)鹿ノ瀬の海中から引き揚げた木造の毘沙門天を本尊として寺を建立しています。高山右近がこの寺を教会として、布教活動をしており、寺の蔵から発見された十字架は、隠れキリシタンが礼拝に使用したものと言われています。
境内には「雌鹿の松」の伝説を持つ松の2代目がある。

 


●浄蓮寺
慶長2年(1597)門誉文公上人により開山され正式名は、浄土宗八池山浄蓮寺と呼びます。
この寺院の観音堂には鎌倉時代の作と言われる、林ノ城(舟上城の前身)を築いた別所吉親が城内で日夜、聖観世音菩薩を祈り続け、秀吉との戦いで亡くなった後、この聖観世音菩薩が何故かこの浄蓮寺に移され今に残っています。

●ノリ・魚介供養塔
市内では一番大きな魚貝供養塔です。
●貴崎神社
貴崎の海岸沿いに小さなお堂があり、林神社のお旅所となっているのが貴崎神社です。推古年代、当麻(たいま)皇子の后・舎人(とねり)姫を海峡を見下ろす小高い丘に葬った。そこからここを后崎または貴崎と呼ばれるようになったと伝わっています。
貴崎社は第19代允恭天皇(いんぎょう)の御世にまつわる伝説のある神社でこのお堂は「ちりんどう」とも呼ばれ、塵のように小さいお堂と言う意味だそうです。
歴史の勉強をしながら8700歩のウォーキング・・・高砂道をテクテク歩いて心地よい汗をかいた半日の授業であった。今宵は舟上城の天守で腕を組み明石海峡を見渡す夢を見るのかな?