神田公園は、鳥羽小学校区コミュニティセンターのすぐ近くにあります。ですから、この公園へは何度かでかけて、春、桜がきれいこと、周辺の環境からか他の公園に比べてゴミが散らかっていること、そのゴミは子ども会が中心になって定期的に清掃されていることなどを見てきました。でも、今回、鳥羽を歩くということで、この公園をしげしげと眺めるまで、ここに歌碑のあることには気がつきませんでした。
何年か前に、明石市の緑化公園課から私に市内のいくつかの公園に歌碑を建てたいという相談がありました。そこで、その下請けを母にたのんで万葉集から歌を選んでもらいました。そのうちの一首だと思います。“雪の色を奪ひて咲ける梅の花今盛りなり みむ人もがも”・・・・ この歌をみて、そういえば、亡くなった父は梅の花が好きだったな、そんなことを思いだしました。春先になると、白梅と紅梅が花をさかせます。
さて、本題にはいります。この公園の名前、普通に読めば“カンダ”公園ですが、ご存知ですか、なんて読むのか。“ジンデン”公園といいます。なぜかなと考えて、公園の東隣に鳥羽八幡神社のあることに気がつきました。
みなさんは、おてらの寺に田んぼのたと書く“ジデン”って、日本史の授業で習った記憶はありませんか。古代から中世にかけて東大寺などが領地を拡大するため荒れ地を開拓してつくられた水田を寺田といいました。そこで、神田を『国史大辞典』で調べますと「しんでん 神田という項目があって、そこには、 律令時代に神社の経費に充てるために設定された田。平安時代以降、・・・神社も私領を拡大し・・・領主から年貢の納入を免除され、神田とよばれる場合があった。」とあります。 〈明石市野々上3丁目〉 T.Y)