朝の通学路で交通整理をしていたとき、今日に限って2人もの低学年の児童が横断歩道の真ん中で転んだ。男の子はつんのめって片方の靴が脱げた。女の子は膝の皮が擦り切れ血が滲んでいたので、学校に着いたら医務室で消毒や薬をつけてもらいなさいと注意をした。仲間の女の子が家のほうが近いので一緒に戻って薬をつけてもらうと言って泣いている子をなだめながら、また家のほうに戻った。数分後遅れて2人が登校して行った。
今日ばかりではなく横断中に転ぶ子が居るので、何か原因があろうと考えた。
一つの原因は道路の中央の盛り上がりが、横断歩道にもあるので、その山状に躓いたこと。それに加えて児童たちはランドセルに入り切れない教材を両手に抱えているではないか。
モンスター的パパゴン・ママゴン的発想をするなら、そもそも日本的なランドセルを廃止せよ、教材も持たすなと学校や教育行政に抗議するところだが、今の学校の設備では教科書やその他教材を預かる余裕は無かろう。
世界の貧しい国の学校ではノートさえ無しで、代りに砂を盆に盛って指で文字を書く姿もTVドキュメントで観たこともある。日本の社会では紙も無駄使いするほど、子供たちにも及んでほかの教材等も潤沢すぎる。
そうこう考えていると、重い荷物を持って通学し今朝のような事故があろうとそれは一種の苦行であり、それに打ち勝つ人間教育とも考えられる。仲間の怪我をいたわり一緒に家に戻ってまた登校に付き添う優しい心を示してくれた女の子は更に立派な人間に成長するに違いないと思うと、安易に集団登校の是非を問うことも出来ない。