渋谷欣伸イベント部会長
8月22日の夏まつりは大成功のうちに終わった。子どもたちはじめ親御さんも共に喜んだ。近所どうしで一つになって花火をした。そのことが神戸新聞にも紹介され、ケーブルテレビにも夏まつりが放送されることにつながった。
その当日にあったエピソードや、成功にいたるまでの裏話を教えていただこうと、イベント部会長をされている柴谷さんを訪ねてみた。
柴谷さんは二見商店街で「シバヤ」という衣料品店を営んでいる。家族は祖父母に娘2人と息子1人、それに柴谷さんご夫婦の7人家族の大所帯だ。
お話を聞いているとイベント部会での厳しさはどこえいったのか、笑顔でにこやかにお客さんとも接しているし、私にもおだやかに対応してくれる円満な人柄だった。だから大勢の家族と共に暮らせるのは、気立てのやさしい器と性質があるからだろう。しかもイベント部会長の役目が務まる器量を備えた持ち主でもあると感じた。
この夏まつりの企画が始まったのが6月18日、そのイベント部会の中で、今年はコロナ禍で全国的に自粛状況のなか、二見の夏まつりについて開催するかしないかを話し合った。その結果、通常開催が4人、今までとは違う形での開催が11人、中止が7人いた。しかし会議の進み具合でどうなるかはわからない。そのとき柴谷さんは「中止だけは避けたい」と思った。
その中で東二見郵便局の岡田局長さんが「花火をしたらどうやろうか」と提案、しかし花火を配るだけではおもしろくないという意見もあった。そこにパッと思わぬ案が出てきた。「同一日時にしてみてはいいんちがうん」「みなで一斉花火だ」「それはええ考え方やないか」しかし今年はコロナ禍で学校の校庭には集まれない。どうしたものかと再びみんな悩んでしまった。
沈滞ムードの中、そこにまた再び妙案が出てくる。「学校で集まれんのやったらSNS上で集まれるやろう」となって、「LINEのオヒシャルアカウントなら集まれるかも」となった。しかし調べてみると同じ画面に登録者が集まれないことがわかった。そこで一瞬うなったが、菅さんが「LINEのオープンチャットなら集まれる」と妙案を出した。「それならやってみようやないか」ということになり、花火に抽選番号をふり、抽選会で当選者に景品を渡すことも考えた。1位に任天堂スイッチ、2位にスイッチライト、それから30名まで景品を用意することになっていった。「景品出したら子どもも喜ぶやろ」そうやって意見がみな一致し、コロナ禍でも開催できる「新しい生活スタイルの夏まつり」が誕生した。
アイスマン
さらに話は進んでいく。また違う日の会議のなかで一斉花火に何か付け加えようということになり、出水守さんが、「それじゃあ変装したアイスマンが、バイクで、「まち中」を走り回り子どもたちにアイスクリームを振る舞うのはどうやろう、しかもバイクにはキラキラる飾りを付けるんや」それからライトマンも提案した。それは子どもたちにブレスライトをプレゼントするためだ。そのライトマンが、アッと驚くことに恐竜に乗って子どもたちの面前で急に出現し、びっくりさせるというアイデアを考えついたという。
ライトマン
こうしたイベント部の意気込みにより、次からつぎへと妙案が飛び出し「夏まつり」にふさわしい出し物がどしどし登場してくることになった。
※ちなみにアイスマンは立正寺の住職である足立さんが扮装して「まち中」を走り回った。足立さんに取材に訪れたとき聞かせてもらったのだが、アイスマンの服はナイロン製で風通しがなく、汗だくでめちゃめちゃ暑かったという。もう熱中症みたいに暑い。しかし子どもたちの喜ぶ姿を見る度びに元気をもらって、「まち中」を走り回ってアイスを配ることができたという。そのことを笑みを浮かべてとてもうれしそうに語ってくれた。
立正寺の足立住職
アイスを振る舞うアイスマン
みんなで集まって話す。それはスゴいことだと思った。最初東二見郵便局の岡田局長さんが提案した「花火」がきっかけになって、最後は「LINEオープンチャト」に親子がそろって集まって「同一日時に一斉花火」をして楽しんでもらう、というふうに話が盛り上がり展開していったからだ。もし岡田局長さんが「花火」を提案していなければ、またちがったイベントになっていたであろうことは察しがつく。一人の提案が人知、衆知を集めて、今まで考えもしなかったことに結びつき、事の実現ができるようになる。
この成功談を聞いているうち、見えないところで思わぬドラマがいろいろと展開されていたのだと思った。
その成功の裏には「中止だけは避けたい」と強く願っていた柴谷さんの思いがあった。自分だけの意見を通すのではなく、みんなの意見を出させるようにして、しかもなんとか実現の方向に進めて、中止を避けるというリーダシップをもっているからだと感じ取らせていただいた。
■あるエピソード
イベント部のエビちゃんがライトマンになって子どもにブレスライトを配りに行ったところ、感激の場面に遭遇したという。子どもにブレスライトを配っていたら、その子どもたちどうしのお母さんが偶然にも20年ぶりに出会ったらしい、近づいてパッと相手の顏を見るなり「ええッ」と驚いたように「ここに住んでたん」高校以来会ってなかったのか劇的な再開にお母さんどうしが涙ぐんで喜び合った。それを見たエビちゃんが感激して目頭が熱くなったという。
ある人は「うちの息子は今まで夏まつりに参加したことがありませんでしたが、今回のオープンチャットの企画に参加して、子どもたちと一緒に花火をして楽しんだんです。写真も投稿していましたよ。この夏まつりに感謝しています」という言葉も聞いた。
またこんな話もあった。「こないだの夏まつりで子どもたちがとても楽しそうにしていました。こんなイベントをする「まち」は少ないと思います。ほんとに二見の「まち」に移り住んでよかったです」とおっしゃてた女性もいた。
こんなに喜んでもらえて二見の子どもたちや住民の方々に感謝されるイベントだったことがわかる。しかし私たちの知らないところでも、いくつもの隠されたエピーソードやドラマがこの夏まつりに生まれたことだろう。 そう思うと心から「まち中」で喜び合えるこの「夏まつり」を大切にし継続しなくてはならないという気持ちになり、イベント部会一同の意気で勝負する情熱と熱意に打たれたような思がした。
■子ども時代からある夏まつりを続けたい
柴谷さんは、夏まつりの陰でこんな出会いや喜びのエピソードがあったことを聞かされて、子どものころ親の代から夏まつりをしていたことを思い出したという。「そのころは賑やかで楽しかっただけで何もわからなかったけど、親の代からこうやってみんなが集まって親しくなり、「まち」の人たちの輪が広がっていったんですね。「まつり」は人と人を結び、また「まち」と人を結ぶ大切な行事だと思います。だから親の代から続いてきた「まつり」を閉ざすのではなく、「まち」全体で喜ぶ、より良い方向性で続けていかなくてはいけないと思います」と語る渋谷さんの表情には、つよい熱意と希望がみなぎっていた。
■忘れられない先輩の言葉
柴谷さんは昨年、明石商店会連合会の青年部で企画した明石城にイルミネーションを使って天守閣浮かび上がらせるというイベントを開催して大成功した実績がある。
そのとき忘れもしない「二見まちづくり連合協議会」の会長だった阪本正和さんが「柴谷さんそんなイベントを二見でせなあかんで」とおっしゃった言葉は今でも記憶の中に刻みこまれていると答えてくれた。
それにしても「まち」を活性化させるためにも先輩の言葉を重く受け止めなくてはならないと思う。
二見の「まち」だからこそできる「住みよいまち」「住み続けたいまち」「住んでよかったと感じとれるまち」を目指して、「人と人を結び、人とまちが結ばれる」「うるおいのまちづくり」を意気と情熱で造り上げていかなくてはならない。そのためには二見の人々の協力と力づよい絆をもつことが必要だ。そのことによって二見の未来は明るいという確信をもてるようになった。
以上
まちづくり協議会広報部会