地蔵菩薩様ゆかりの延命寺

延命寺の本堂

大寺院長坂寺の塔頭だった延命寺
 香盤池から200㍍ほど南に進むと、住吉神社の東隣に民家に囲まれた「地蔵菩薩様」ゆかりの延命寺が建っている。開基は天平16年(744)、時は奈良時代、行基菩薩によって建てられた。御本尊は地蔵菩薩様と阿弥陀如来様。宗派は浄土宗である。

延命寺の地蔵菩薩様
 行基菩薩が彫られたという「地蔵菩薩様」は、毎年地蔵盆の8月24日だけご開帳される秘佛になっている。当日は施餓鬼供養が行われ、朝はやくから大人や子供たちが多く集まって賑わっている。

地蔵菩薩様

 このお寺はかつて長坂寺の塔頭で遍照寺と共に、魚住周辺の信仰の中心となっていた。遠い昔は広い境内をもっていたが、南北朝の乱でお寺は惜しくも焼失してしまった。そのため当時の住職が艱難辛苦の末、お寺を再建したと言い伝えられている。ところが天正7年(1579)9月、三木合戦のとき、惜しくも再度焼失してしまったという。
 そのような波瀾のなか境内が狭くなってしまい、昔、絵馬堂のあったところに今の延命寺が建っている。現在、延命寺の御本堂は昭和10年に再建されたものだ。
三木合戦:三木城攻めで秀吉と別所長治が戦った合戦。

新改住職の活躍
 延命寺は昭和54年、明姫幹線工事の際、香盤池にまつわる因縁を鎮める大きな役割を果たされた。
 香盤池は三木合戦のとき、別所方関係者を処刑したところといわれ、昔からこの池に足を入れたり、木一本切っただけでもタタリがあると非常に恐れられたところであり、子供も絶対に立ちは入らなかった。しかも明姫幹線工事も池周辺でストップしてしまった。そのため工事関係者や地元の人々の求めに応じ、延命寺の新改住職はじめ多くの僧りょや地元の人たちの手によって、土地にまつわる霊を慰めるために、大供養を行ったのである。
 また香盤池の守り神であった六地蔵尊を延命寺境内に移し、供養塔も建て施餓鬼供養も行った。その結果、明姫幹線は無事に開通した。 

香盤池にあったという六地蔵尊

行基菩薩が掘られたという柳井の古井戸
 それにしても惜しいことがある。このお寺の近くに行基菩薩が掘ったと言い伝えられていた柳井の古井戸が、赤根川改修工事のため、昭和45年に惜しくもなくなってしまった。
 「明石市史」によると柳井の古井戸は、行基菩薩が魚住の泊(とまり)に入港する船に清水を補給するために掘ったといわれている。また、「魚住村誌」では、江戸期に江井ヶ島の酒造用に用いられたと伝えられている。貴重な文化遺産は壊さずに末代まで残して欲しいものだ。

赤根川のドッコイショ

昔「ドッコイショ」という地下水が湧き出ていたという赤根川

 延命寺の新改住職によると、柳井を流れる赤根川の堀割りにドッコイショという地下水が湧き出て、村人がよく洗いものをしていたという。
 かつて魚住平野は地下水に恵まれ、水には事欠かなかったところでもある。

延命寺の本堂
お寺の西側には延命寺を守るように人なつっこさのある住吉神社が建っている