
■薬師院の由来
天王神社の西隣に、ぼたんの花で有名な薬師院が建っている。土地の人は「ぼたん寺」と呼んで親しんできた。また「あか寺」とも呼ばれ、真言宗のお寺として人々から崇敬の念が厚く、参拝者の絶えない気品に満ちた美しい寺院でもある。
この薬師院の由緒は、遠い奈良の昔、行基菩薩が魚住にある西岡の地を訪れたときのことからはじまった。
行基菩薩は魚住の海や緑豊かな美しい光景に心をひかれ、もっていた杖を突き立てた。すると奇しくもそこから泉が湧き出し、その泉の中に清らかな薬師如来のみ姿が浮かび上がってきたという。
そこで行基菩薩は、この地に薬師如来をお祀りするお寺を建てる決意をされ、時の天皇にご請願たてまつられたという。
当時、飢えや病、赤貧の中で苦しむ大勢の民衆を救わねば国は治まらないという大きな志をもたれて行基菩薩は薬師如来にすがられてご修行された。その衆生済度の思いが天に通じ、天皇の勅命をたまわることとなって、清冷山閼伽寺を建てられたと伝えられている。それがこの寺院である。
薬師院は、仁和のころ(八八五)隆盛を誇った。七堂伽藍や坊舎が二〇件以上も建ち並んでいたという。しかも諸国から大勢の参拝者が訪れ、栄えにさかえていたと伝承が伝わっている。
しかし時代がくだって南北朝の時代になると、戦乱に巻き込まれた薬師院は惜しくも荒れ果ててしまった。ところが驚くことに南北朝時代の戦乱の中、永徳年間に再建されたと伝えられている。二度あることは三度あるとことわざにあるとおり、またもや戦国時代の三木合戦のなかに焼失してしまったのである。再建は、明暦三年(一六五七)の春まで待たねばならなかった。

それにしても波瀾万丈の激動のなかに幾度となく焼失しては再建されて建ち上がってきた薬師院、それだけに歴史的な重みがあり、寺院全体に力強さがただよっている。その裏には多難を乗り越えてきた薬師院の後光に魅了された民衆、その村人たちから崇敬の念が集まったのであろう。それはすべて薬師如来のお慈悲のたまものでもある。その清らかなみ佛の御高徳により平成の改修が成功し、立派な御本堂が建立され、現代に花を咲かせている。

薬師院御本堂の奥に護摩堂が建っている。その護摩堂には、薬師如来、不動明王、弘法大師が厳かにご安置たてまつられ、人々の平安を願っておられる。また境内には毘沙門堂や行者堂があり、寺院全体を気品でつつんでいる格式高いお寺でもある。
■薬師院の名物
ぼたんの花
薬師院きっての名物は、庫裡の庭一帯に咲くぼたんの花。そのぼたんの花は先々代のご住職が植えはじめられた。その後、ご住職の修行はもちろんのこと、栽培にも打ち込まれ、きれいなぼたん畑の庭園が広がった。毎年4月になると、美しい花を咲かせ、そのぼたんの花を見ようと、薬師院に大勢の参詣者が訪れる。
参拝れさた人たちは春の息吹を感じながら、見事に花開いたぼたんの美しさに心を奪われ、目を細めて眺めているのが印象的だった。