鳥羽を歩く - 神本神社 -  (10)

  「こうのもと」神社だとこれまで思っていたのですが、昭和13年出版の『兵庫県神社誌』には、「かんのもと」とわざわざ振り仮名がうたれていました。ネットで調べても、吉田郷土館にたずねても、「こうのもと」神社と答えられます。
 2万年前の最終氷河期のころ、台地を南へ流れる明石川が深い侵食谷をつくりだしました。神本神社は、この谷の西側の崖面に立地します。この神社で注目されるのは、初代明石藩主・小笠原忠政の家老達が神本大明神にご祈祷領として鳥羽村と枝吉村の境にある新田三反歩を寄進した文書が残されていることです。明石藩の発展を願ったのでしょう。       〈神戸市西区枝吉4丁目〉